硬膜外麻酔による無痛分娩の説明書


1. はじめに

一人の女性が出産する回数が少なくなるにつれ、一回の出産の持つ意義はますます大きくなっています。個性や多様性が重視される現在、お産の痛みに対する考え方も人それぞれです。「痛みは我慢してでも自然に出産したい。」と考えている方もおられれば、「できるなら痛みはなるべく感じないで出産したい。」と希望される方もおられることと思います。 当院では妊産婦さん一人一人の出産に対する考え方を尊重しており、希望される方には 「硬膜外麻酔による無痛分娩」という方法を提供いたします。これは陣痛による痛みを軽減し、分娩の自然経過を手助けし、母子ともにストレスを最大限に減らす試みであるとご理解ください。どの分娩方法を選択されるかはあくまでも産婦さんご自身です。十分な医療上の説明(利点、欠点など)を受けられたうえでご夫婦、ご家族でお決めください。納得のいかないことや疑問点には時間が許す限り十分な説明を持って対処いたします。

2. 硬膜外麻酔による無痛分娩とは

現在、欧米先進国では大部分の出産に何らかの痛み止めの手段が施されており、その中で最も一般的な方法が「硬膜外麻酔による無痛分娩」です。米国では8割近くがこの方法によると言われています。日本ではまだごく限られた施設でしか施行されていません。 理由はマンパワーの不足にあります。しかし、硬膜外麻酔そのものはごく一般的な麻酔法として手術に日常茶飯事的に使用され、特に術後の創部痛の管理に大いに貢献しています。当院においても例外ではありません。

さて、出産に伴う子宮収縮や産道の広がりによる痛みは背中の脊髄(せきずい)神経というところを通って脳に伝えられます。持続硬膜外麻酔による無痛分娩の際は、細くて柔らかいチューブ(カテーテルと呼びます)を背中から腰の脊髄神経のすぐ近くに挿入して(その場所を硬膜外腔と呼びます)麻酔薬を少量ずつ注入します。そうして脊髄からの痛みの情報を脳に伝えなくすることで陣痛の痛みを緩和・和らげる方法です。 麻酔中はお母さんの意識は保たれ、下半身の痛みを伝える感覚が鈍くなりますが、運動や感覚麻痺が生じるわけではありません。これで赤ちゃんの下降感や子宮の収縮をある程度感じながら、ゆっくり「いきみ」のタイミングをとることで分娩を無理なく進めることが可能となります。ほとんどの場合、痛みはわずかに感じられる程度でラマーズ法などの呼吸法による痛みの軽減とは比ではありません。しかし、痛みの感じ方は痛み刺激の種類、麻酔の効き具合や精神的な不安なども含めて様々な条件が影響して個人差が出ます。従って出産間近になると多少の痛みを訴える場合がありますが、先ほどのカテーテルから麻酔薬を追加することで制御がほぼ可能です。(一般に「無痛分娩」と呼ばれていますが、「鎮痛分娩」や「疼痛緩和分娩」といった方がより適切な表現かもしれません。) 結果的にこの方法による産婦さんの大多数の方々が痛みの軽減を体験され、分娩に対する恐怖感が少なく、精神的にも肉体的にもストレスが軽く、赤ちゃんにも余裕を持って接することができたと満足感を述べておられます。よって、妊婦さんに心臓や肺の病気、高血圧症の合併、高齢出産などの問題があり、分娩による痛みからくるストレスを軽減し、産道の緊張を取ったほうが良いと考えられる場合には積極的にこの方法をお勧めします。

分娩を担当する医師

学会の定める産婦人科専門医で、日常的に分娩に携わっているもので、かつ十分な産科麻酔、特に無痛分娩に関する技能、知識が豊富な医師のみが担当します

無痛分娩を行う場所

感染予防の点と、酸素投与や人工呼吸など救急蘇生処置ができるLDRまたは手術室で行います

3. 当院では計画分娩は行いません。

・助産師は、母体生体情報モニター、CTGを装着し母児が健康であることを確認する

・産婦の体温(2時間毎)、血圧(1時間毎)、心拍数(2時間毎)、SpO2(2時間毎)、呼吸数(適宜)等確認し、電子カルテ内のパルトグラムに記録する

・異常出現時、または異常が疑われる場合は施設に常駐する分娩担当産科医師に報告する

・陣痛間隔や強さ、児の健康と分娩の進行度を確認して末梢静脈ルートを確保し輸液を開始する

・陣痛の痛みの程度をVASで評価し、産婦に麻酔開始の希望を確認する

・医師は妊娠後期の血液止血凝固能を含む血液検査、尿検査をチェックします

・既往歴、家族歴、服用薬、アレルギー、身体所見(気道、脊柱、神経障害の有無を含む)さらに妊娠経過、胎児合併症、推定児体重を確認します

・その他、産婦の分娩に関する要望を確認します

<硬膜外麻酔による無痛分娩の実際>

硬膜外カテーテルの挿入は安全を第1に考えて酸素投与や人工呼吸など救急蘇生処置が出きる陣痛室や分娩室で行います。まず、水分の補給と薬剤投与の目的で静脈点滴を行います。血圧計やパルスオキシメータ(動脈血酸素飽和度モニター)を装着して坐位(前かがみ)または側臥位(どちらか楽なほうの横向きになり、猫のようにできるだけ背中を丸くした姿勢をとります)で行います。

同カテーテルは腰の高さで背中の脊椎の骨と骨の間から挿入します。まず感染防止のため挿入予定個所の厳重な消毒後に滅菌されたシートをかけます。術者は帽子、マスク、滅菌手袋を着用の上で作業をしますので、感染予防の点からご家族の同席はご遠慮いただきます。次にカテーテルを挿入する個所に硬膜外針を穿刺しますが、あらかじめ局所麻酔薬による除痛処置をしますので痛みはあまりありません。針を挿入中は動くと危険ですので指示された姿勢を維持してください。硬膜外腔に針を到達させたら、硬膜外カテーテルをそこに留置して硬膜外針は抜いてしまいます。

カテーテルの挿入時は一部陣痛が始まっていますが、硬膜外麻酔の薬を投与すると20-30分程度で陣痛が消失します。子宮の収縮は持続したままです。カテーテルが正しい位置に挿入されているか、陣痛の軽減が十分できそうか、母子ともに循環動態に異常がないかなどを確認する作業が約1時間程度継続されます。その後は安全性を計算された局所麻酔薬が持続的もしくは間欠的に投与され鎮痛を維持していきます。出産後の分娩に関する処置(会陰縫合は痛くありません。)が終わるまで続けてカテーテルは抜きます。

硬膜外無痛分娩中は下半身に軽い麻酔がかかった状態であるため、基本的には分娩がすべて終了するまでベッド上での安静臥位になります。体位の変換は自由で会話も睡眠も可能です。ただ、飲食は控えさせてもらいます。点滴により水分補給はされていますので心配は要りません。夫や母親等の面会や同席も可能です。この無痛分娩が終了して数時間もすれば歩行が可能になります。授乳は通常と同じように出来ます。

<「硬膜外による無痛分娩」での副作用や合併症について>

一般的な麻酔作用の問題として軽い低血圧が生じますが、点滴で十分対処できます。麻酔開始後は1時間ごとに右、左と体位を変換して横臥位になってもらうことで低血圧の防止と下半身の麻酔が左右均等になることを計ります。めったにありませんが硬膜外麻酔に使用した薬剤で体が痒くなることがありますが我慢できる程度のことで心配はいりません。 その他、背中の注射した場所にしばらく痛みが残ったり、起きあがると軽い頭痛を数日間感じたりすることがあります。 また38℃以上の発熱を起こすことが10%程度ありますが、赤ちゃんに対する影響はありません。

  稀ではありますが、重大な合併症として、硬膜外カテーテルが硬膜を貫いて脊髄神経の納まっているくも膜下腔に迷入することがあります。このときは麻酔が上半身にまで広がり呼吸が苦しくなることが起こります。これを局所麻酔中毒と呼びますが、起こった際には呼吸循環動態を管理し麻酔効果が減弱するまで注視します。予防には局所麻酔薬の不用意な大量投与を避けることと、ゆっくり注入することが大切です。また、カテーテル挿入の際に先端が硬膜外腔にある静脈に入ることもありますがすぐに位置の修正を行いますので急性局所麻酔薬中毒の危険性は避けることが可能です。

 いずれの副作用や合併症に際しても母子の安全性を最優先に講じられる対策と準備をも って臨んでいます。